木地師

木地師とは轆轤を用いて木工品を加工、製造する職人である。

別名轆轤紙とも呼ばれる。


木地師 伝統工芸士 鈴木正雪

祖父から父へ木地師を雇い商売をしていた家で生まれ育ち、身近に職人がいた状況で、自然に木地師に憧れ小学校の時から親の家業を継ぐ物だと思っていた。

だがその職人がだんだんと将来に不安を感じはじめ他の職へと移っていき木地師の数がどんどん減っていく時代になっていく。

正雪さんは中学を卒業すると家業を継いだが職人の数が足りない。そこでまだ数人いた職人に教わり自らが木地師になると決心する。


最初はわさび漬けの器作りを1日に何個も作り続け腕を磨いていった。最後は日に500個も作ったという。木の性質から環境による変化を勉強し、技術も身に付けていき、作れる商品も徐々に増えていく。

そしてだんだんと資金も出来ていき今度は日光物産展用に様々なオリジナルの商品を生み出していく。

「どんな商品をお客は求めるのか、どうやれば上手く作れるのか」

その為の道具や刀も必要に応じて自ら加工、制作して使い分けていく。今では刀まで自ら作る職人はほとんどいないらしい。

技と造形を日々研究し正雪氏の芸術品が数多生まれていくことになる。


木地師 鈴木正雪 


正雪氏は言う。「同業者やお客から『いいものができたなぁ』と言われると苦労してやって良かったなぁと思います。でもそこまでたどり着くのに大変苦労をしましたね。ただそうやって長い間、お客のニーズに応え、もっと良いものをとやってきましてここ日光でも無かった新しい商品をたくさん作り続けることが出来ましたから」

「それがやっててよかったなぁ、私の誇りかなぁ」 


あとがき

物産展でお会いし撮影を快く受けて頂いた鈴木さんにお礼を申し上げます。私のようなものにも丁寧に話して頂き物腰の柔らかい本当に素敵な方でした。しかし、いざ制作に取り掛かると瞬時に顔つきが職人の表情に変わったのには驚き感服いたしました。

昨今、大量生産の時代、伝統工芸品も需要と供給が少なくなっていき後継の問題も至る所であり、鈴木さんも例に漏れず正雪さんの代で終わると言います。鈴木さん曰く、時代の流れだからと。外野の私が言うのも失礼かもしれませんが本当にもったいなく寂しい限りです。どうか可能な限りこの半世紀に渡り木と向き合い磨き続けられた技、使う人を想い心の籠った作品をいつまでも大切にしていきたいし、日本人としてそうしなければいけないと感じます。